沖縄に行きたくなる映画14選!【1930年〜1950年代】

沖縄エンタメ情報

こんにちは、マイマイです。

「沖縄文化を感じられる映画観たいけど、何を観ていいかわからない・・・」と悩んでいませんか?

そんな人に向けて、沖縄に関する映画を年代別に分けて、紹介していきます!

◆この記事は以下のような人にオススメ

  • 沖縄映画を単純に観たい人
  • 自分が生まれる前の沖縄映画を知りたい人
  • 昔の沖縄を知りたい人

この記事は「沖縄映画情報を知りたい人」に向け、1930年〜2020年代の沖縄映画を年代別に数回に分けて紹介します。

今回の、1930年〜1950年代の沖縄映画情報を知ることができたら、昔の沖縄の雰囲気を感じられるので、ぜひご覧ください。

それでは、どうそ!

1930年代の沖縄映画

1932年「執念の毒蛇」

「執念の毒蛇」は現存する最も古い沖縄の劇映画。

あらすじ

ハワイ移民の大城政一がハンセン病になった妻君子を捨てて沖縄に帰る。君子は政一を捜し出して責めるが、殺されてしまう。政一とじゅりが寝ているところに君子の霊とハブが現れ、復讐(ふくしゅう)を果たす。

引用:琉球新報

1935年「護佐丸誠忠録」

無声映画

キャスト:平良良勝、我如古弥栄、真境名由康、宮城能造、島袋光裕、親泊興照

1940年代の沖縄映画

1942年「海の民 沖縄島物語」

国家総動員体制作りに利用されました。
当時の沖縄の人々を”海外へ雄飛する島民”、”海洋の富を求めて闘う漁民”という視点で描いています。

1942年「白い壁画」

戦前の映画パンフレット

風薫る沖縄を背景に愛憎を越えた崇高なる人類愛の哀歓!

台風吹き荒む中にその身を捧げ科学の鬼に化した若き一学徒の涙ぐましき戦い!

戦時下に日本映画の逞しき前進を示す問題作が完成!

  • 監督:千葉泰樹
  • キャスト:入江たか子、花井蘭子、立花潤子、高田稔、月形龍之介

1950年代の沖縄映画

1953年「健児の塔」

あらすじ

昭和20年3月の沖縄。本島はアメリカ軍に取り囲まれ、戦況は最終局面にあった。追い詰められたなかで、女学生は臨時看護婦として野戦病院へ、中学生たちは現地動員の兵として戦列に立つ。だが壊滅状態に追いこめられるにつれ、学生らの精神も摩耗していった。

引用:U-NEXT
  • 監督:小杉勇、春原政久
  • 脚本:佐伯清
  • キャスト:石井一雄、龍崎一郎、田代百合子、轟夕起子、東恵美子、舟橋元、神田隆

1953年「沖縄健児隊」

あらすじ

太平洋戦争の末期、昭和廿年になると沖縄に戦雲は迫り、沖縄師範の生徒たちはペンをツルハシに代えて軍司令部の洞窟陣地構築に協力していた。新垣は母親が九州へ疎開することになったので、三浦先生は彼に母と一緒に行けと勧めたが、同級の金城等に卑怯者と罵られ、母だけをやって自分はふみ止った。

出張先の東京から危険を冒して帰島した津田校長は、予科の生徒まで司令官直属隊として徴集される事に反対したが許されず、生徒と運命を共にする決心をした。三月廿五日、米軍は慶良間列島に上陸、この危急に備えて師範学校職員生徒は全員、鉄血勤王隊として徴集され金城、山里等は斬込隊を編成し、新垣、上江洲等廿二名は情報宣伝隊員として千早隊を編成した。

四月一日、ついに米軍は上陸、日本軍は次第に南におされ、天長節の大反撃も噂だけに終った。六月末、司令官は生徒たちにそれとなく降伏を勧めて自決した。伊豆味も上江洲も比嘉も識名も戦死した。そして新垣は日本降伏も知らず洞窟に立て篭っていたが、三浦先生に探し出されて収容所へ向う。それまで同行した兵らはそれに応ぜず自決した。戦後建てられた沖縄師範健児の塔の前で、新垣は若き命が再び無駄に散らないことを祈るのだった。

引用:映画.com
  • 監督:岩間鶴夫
  • 脚本:沢村勉
  • キャスト:石濱朗、田浦正巳、前田正二、本郷淳、大塚憲、草刈洋四郎、荻田洋巳、南郷佑児など

1953年「ひめゆりの塔」

あらすじ

1945年(昭和20年)3月、米軍が沖縄上陸作戦に着手するなか、艦砲射撃と艦載機の機銃掃射が続く沖縄。ひめゆり部隊と呼ばれ陸軍病院に配属された女子学生たちは、黙々と任務を遂行していく。卒業式も壕のなかで行われる。いよいよ米軍が迫ってくるなか、軍はいち早く退却。女子学生たちは丸腰で逃げ続けるしかなかった。

引用:Wikipedia
  • 監督:今井正
  • 脚本:水木洋子
  • キャスト:津島恵子、岡田英次、信欣三、石島房太郎、殿山泰司、河野秋武、春日俊二、神田隆など

1956年「電光空手打ち」

高倉健の映画デビュー作

流星空手打ちと同時上映

あらすじ

大正時代沖縄。若き知倒流唐手家の忍勇作(しのぶ ゆうさく)は、ライバルの流派である剛柔流の師範・名越義仙に挑むが、隙のない構えに手が出せず、戦わずして負けを認め、知倒流を離れて義仙の弟子となる。

義仙は東京大正博覧会で琉球唐手の代表者として型を披露することに決まった。それを知った知倒流の門弟の一人・赤田鉄才が独断で、自身の師匠である知倒流師範・中里東恩と、義仙との決闘を設定しようとする。さらに、決闘の立会人になることを断り彼を叱った老陶工・湖城空典を恨み、若い仲間を連れて空典を襲い負傷させる。やがて赤田らは、夜道を歩く勇作と義仙にも襲いかかる。

勇作は迎え撃ち、かつての同門生・克明に重傷を負わせるが、義仙は「空手に先手なし。お前は無用に人を傷つけた」と怒り、勇作に破門を言い渡す。一方、東恩も赤田・克明らの独善をいさめ、激しく叱りつける。赤田らはかえって勇作を逆恨みするようになり、復讐の機会をうかがう。

義仙は博覧会のために東京へ渡った。一方、失意の優作は空典宅に身を寄せ、彼の娘・志那子と仲よくなる。空典はある夜ふけ、志那子に伝授した舞踊の振り付けこそが湖城家に伝わる一子相伝の唐手の型であることを優作に明かし、彼に旅費を与え、義仙を追って許しを請うようすすめる。

勇作は志那子に別れを告げて港へ急ぐが、そこにふたたび赤田らが立ちはだかる。勇作はかつての義仙の教えを守り、無用な戦いを避けるために一味の全員を一撃で気絶させる。勇作はついに赤田と向き合った。(「第一部 終」の字幕が表示される。)

引用:Wikipedia
  • 監督:津田不二夫
  • 脚本:小林大平
  • キャスト:高倉健、浦里はるみ、藤里まゆみ、山形勲、神田隆、佐々木孝丸、加藤嘉など

1956年「流星空手打ち」

電光空手打ちの続編映画。同時上映。

あらすじ

東京に出た忍勇作は名越義仙にも会わず、ルンペンの親分のもとに身を寄せ、空手道の真髄を求めて苦難の彷徨を続けていた。赤田鉄才、中里恒子、弟の克明、湖城志那子もまた東京に出て名越の家にいた。ある夜与太者に襲われる学生鹿島耕三を救ったことから、忍は耕三の家に身を寄せ夜学に通うこととなった。

赤田達は愛国党総裁、木村等の庇護を受けつつ宿敵忍との対決を求めていた。耕三の妹陽子や芸者駒勇も忍を慕うようになった。夜学の帰途名越の家の前を通った忍は、名越のひく蛇味線の音にひきつけられて思わず門内に入った。気配を感じて外に出た志那子は忍の落した手拭を拾った。

また忍は克明と恒子に会い、彼等の父東恩が死んだことを知った。忍の住所は赤田一派に知られ、襲撃を受けることになった。耕三の家に迷惑をかけてはと忍は再び大五郎親分のところに帰っていった。一方名越の人格を高く評価した広道館の嘉治館長は名越を招いてその型を披瀝させた。

その名声をねたんだ赤田は総裁木村の圧力を利用し公開試合を計画した。名越は「心正しからざるものとの試合は好ましからず」といって応じなかった。遺恨に燃える赤田一味は途上に名越を襲った。駒勇からの報を得て忍は現場にかけつけた。烈風の中、宿命の対決が行われた。遂に赤田達は倒された。戦終えた静寂の中に、忍と志那子の相寄る影に温く微笑む名越義仙の姿があった。

引用:映画.com
  • 監督:津田不二夫
  • 脚本:小林大平
  • キャスト:高倉健、浦里はるみ、日野明子、春日とも子、藤里まゆみ、神田隆、北峰有二など

*動画は上記の「電光空手打ち」と同じ

1956年「八月十五夜の茶屋」

あらすじ

1946年、沖縄の第147地区占領隊長のパーディーIII世中佐の下に、心理戦部隊からフィズビー大尉が転任してきた。最高峰の知的集団からの転任者を歓迎するパーディー大佐だったが、フィズビー大尉は配属される先々から転属を求められる問題人物だった。

クビにされかけた現地の通訳サキニと共に、島の南端にあるトビキ村へと赴任する。スマタ村長の親族を名乗る面々に翻弄されながらも、トビキ村に到着したフィズビー達は村人たちから大量の特産品をもらい、民主主義とは何かを説明して、学校を作らせて、自治組織を結成させようとする。

そこへ、村長が芸者のロータス・ブロッサムを「贈り物」としてフィズビーに与える。無理矢理着物と下駄に着替えさせようとするロータスに翻弄されるフィズビー。

ある日、ロータスがトビキ村に引っ越してきた。男達のロータスに対する厚遇に、村の女達はフィズビーに不満を伝える。が、ロータスはほかの村でも同じトラブルを起こして追い出されており、行き場を失ってトビキ村に来たのだ。ロータスもフィズビーに好意を持ち出て行こうとしない。

民主主義婦人連盟とロータスの板挟みになったフィズビーは、ロータスに女性達に芸者の手ほどきを命じる。さらに、村人が多数決で憧れの茶屋を建てることを決めてしまった。民主主義的に決めたと主張する村人たちに、フィズビーは学校のための建材を使って茶屋を建てることを許す。

すっかり村に馴染み、着物と下駄姿にも慣れたフィズビー。報告書の内容が支離滅裂な上に学校の建設が進んでいない事態に、パーディー大佐は精神科医のマクリーン大尉をトビキ村に派遣する。だが、マクリーン大尉もフィズビーに丸め込まれ、一緒になって有機栽培の計画を立て始めた。

一方、フィズビーの考えた特産品販売は不振であった。やけ酒をあおろうとする村人にフィズビーは「ブランデー」の醸造が商売になることに気づく。早速、「トビキ共同醸造会社」を設立させ、将校クラブや海軍の酒保への出荷が始まった。そして茶屋も落成し、落成式を兼ねた祝宴が始まった。

そこへパーディー大佐が村を訪れ、村の堕落ぶりとフィズビー達の無能ぶりに呆れてしまう。フィズビーのやり方を共産主義だと罵り、茶屋と醸造所の解体を命じる。軍法会議への出頭を命じる一方、出世の道が断たれたことに落胆する大佐。だが、1本の電話が大佐を更に慌てさせる。

フィズビーの報告書がある議員の目に留まり、トビキ村を復興計画のモデル村にするのだという。そしてなんと、その議員が今夜トビキ村に視察に訪れるというのだ。既に茶屋と醸造所は解体された跡で、パーディー大佐は口汚く罵ったばかりのフィズビーに何とかするよう命じた。

引用:Wikipedia
  • 監督:ダニエル・マン
  • 脚本:ジョン・パトリック
  • キャスト:マーロン・ブランド、グレン・フォード、京マチ子、エディ・アルバート、ポール・フォード、根上淳、清川虹子、沢村みつ子、ハリー・モーガン、フランク・トクナガ、猿丸吉左衛門

1958年「海は生きている」

あらすじ

琉球八重山の島々。サンゴ礁が美しい。この島の一つに少年は住んでいた。少年の家に生れたばかりの赤ちゃんが、不思議な儀式の先頭に立たせられる。長命草に海水と蟹を加えて煮、儀式に供えられる。--この島の人々の生活はすべて海につながる。

古来から琉球独得の漁法・追いこみ漁は珍しい眺めだ。少年たちは泳ぎながら魚を釣る、さては銛を持っての海中の冒険。少年はいろいろな魚や海蛇、それに花野菜サンゴなどに出会う。海中旅行は楽しかった。嵐の日や巫子の祈る日が過ぎ、少年は初めて赤ん坊を間近かに見るのを許された。

また夜、岩かげで海蛇の一種永良部鰻の産卵を目撃した。この二つのことが、少年を生命の神秘さについて考えさせた。海神祭の日に発表された懸賞で、少年は都会の水族館を見学させてもらえることになる。少年は水族館の技師からいろいろのことを話してもらった。

単細胞動物のこと、腔腸動物のこと(クラゲやサンゴなど)、卵からかえる魚たちのこと、などなど。少年は学び、賢くなり、島へ帰った。赤ちゃんはだいぶ大きくなってい、その将来の成長を占う儀式が、島で行われていた。

引用:映画.com
  • 監督・脚本:羽仁進
  • 解説:東野英治郎、黒柳徹子

1959年「青い珊瑚樹」

*情報なし

1959年「海流」

あらすじ

台湾沖で遭難した紅洋丸は、殆どが救助されたが通信長の豊野だけは行方不明だった。洋上を漂う豊野は密輸船に救われた。だが首領の稲本は秘密が洩れることを恐れ、黒眼鏡の船長に彼を殺すよう命じた。しかし船長は沖縄島にある伊波宝石店にて待つようにとの謎の言葉を残して彼を逃がした。

沖縄にたどりついた豊野は、新聞記者の新城に不審がられ跡をつけまわされた。そのうちに二人の間には奇妙な友情が湧いていた。そして職業意識をすてた新城の説得に豊野は彼の下宿に同居することになった。伊波宝石店に行った豊野は、店主から必ず内地に帰れるようにするから暫く待てという船長の伝言を聞いた。

ある日豊野は新城から、新進の沖縄舞踊家富川節子を紹介された。節子はその日から豊野に好意を持ち、やがては沖縄の恋唄まで歌うほど燃え上がった。だが彼には恋人浮田葉子が自分の帰りを待っているので節子に冷たかった。ある日船長から連絡があった。そこで彼は黒眼鏡の男がかつての海兵団の仲間杉岡であることを知った。

そこには密航船が用意されていた。しかし稲本は、杉岡の裏切りを知り殺し屋をさしむけてきた。杉岡は豊野の身代りとなって兇弾に倒れた。杉岡は妹のことを頼んで死んでいった。内地に帰った豊野は自分が死んだと思いこんだ葉子が既に他人と結婚していることを知った。

一方杉岡の妹小枝はドライで自堕落な生活を送っていた。兄の死を知って一層グレる小枝を不憫に思う豊野は何かと彼女の面倒をみるのだった。そんな彼に小枝はだんだんひかれていった。そこへ沖縄舞踊の内地公演で節子がやって来た。再会を喜ぶ節子と豊野の姿をみて小枝は、無鉄砲に車を運転、暴走事故で若い生命を失った。豊野は節子との間に小枝の思い出が一生立ちはだかって消えないことを知り、彼女から離れようと思った。

引用:映画.com
  • 監督:堀内真直
  • 脚色:沢村勉、高橋治
  • キャスト:大木実、岡田茉莉子、杉田弘子、南原伸二、渡辺文雄、諸角啓二郎、北条喜久など

1959年「月城物語」

大日方 傳が、昭和34年(1959年)、アメリカ統治下の沖縄で製作・監督し、同年に那覇劇場で封切られた『月城物語』は、全編沖縄方言で撮影された世界初の映画作品となった。

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